【わたしに足りないもの】クラスを一律に見ていた自分
文法の授業で、「〜以来」を扱いました。
これは導入がやりやすいのでみんなで
ノリノリでやるわけです。
接続の確認、意味の確認の後
私は使えないパターンの説明を入れました。
結構丁寧に。
そして、使えないなら何を使って表現する?
代わりにいれるものは初級の文法になるので初級文法の復習にもなります。
そしてあれこれ練習をして最後の最後に確認の意味で◯✖︎クイズ大会をやります。
__ げげげ、間違える人多数! __
◯✖︎ですから多くの人が正解して気持ちよく終わらせて活動へ・・・
の流れを作りたかったのに、結構間違える人が多くいました。
え?私のあの説明意味なかった?
例文作りをしていて、間違えた時に指摘する方法がよかった?
もしかして大失敗?
__ 失敗をオープンにする __
一人で悶々としてもしょうがないので引き継ぎの時に、この流れを報告。
ちょっと悩んでますと伝えました。
恥を忍んで書く引き継ぎです。
__ クラスの学力差を意識する、いや利用する __
先輩は答えてくれました。
クラスの学力差が大きいので、なるべく丁寧に説明して
間違いが出たら、できる人に説明してもらうようにしています。と。
先輩は謙虚な方なので、このやり方でやってますが
どうなんでしょう?と投げかけてくれました。
私は、雷に撃たれたくらいの衝撃を受けました。
そうか!私はなぜか「できる人に頼りすぎてはいけない」という
謎の自分縛りがあることに気がついたんです。
学力差を嘆くのではなく、逆にそれを利用していけばいいのか。
なんでこんな簡単なことに気がつかず全員が同じようにできることを
目指していたのだろう・・・
上の子に引っ張らせる
底上げをする
クラスをレベルアップさせるための視点は色々ある。
これはしっかりと勉強しないといけないと今更ながら気がつきました。
こういう話は日本語教師だけではなくて、「教師」という仕事をしている人なら
共有できる話題なのかも。今度聞いてみよっと。